地球儀

映画を紹介します

孤独な男「タクシードライバー」

 

 

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公開:1976年

監督:マーティン・スコセッシ

制作:マイケル・フィリップス

     ジュリア・フィリップス

脚本:ポール・シュナイダー

音楽:バーナード・ハーマン

 

☞眠れない男

ラヴィス。彼の独白からこの物語は始まります。

不眠症の彼は、夜勤のタクシードライバーの職につきます。

彼は街ゆく人々に対し、憎しみの心情を吐き出します。

「夜、歩き回るクズは、売春婦、街娼、ヤクザ、ホモ、オカマ、麻薬売人、すべて悪だ。奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだ?」

 

人が溢れる都会の街が、彼の孤独を際立たせます。そして彼の乗るタクシーもまた閉じられた彼の世界を象徴しています。夜通し働いても彼は眠ることができません。ガレージからポルノ劇場に直行し、劇場の女の子には冷たくあしらわれてしまいます。

「毎日過ぎていくが、終わりはない。俺の人生に必要なのはきっかけだ。自分の殻だけにとじこもり、一生過ごすのはバカげてる。人並みに生きるべきだ。」

そんな彼に人生を変える「きっかけ」が現れます。 

 

☞トラヴィスの恋

ある日、トラヴィスは街の選挙事務所で見かけた女性ベツィに一目ぼれします。

彼はボランティアの申し出を口実に、選挙事務所のベツィに押しかけます。

会話の中で、トラヴィスが政治に関する質問に全く答えられず、ヤケになって開き直る展開が笑わせます。

懸命に彼女を口説きます。「君は独りぼっちだ。君の周りにたくさん人はいて、電話や書類で一杯だが何の意味もない。君に必要なのは友達だよ。」

ジェントルな態度を保ちながらも、言っていることは非礼極まりないですね。彼女の仕事や周りの人をさげすみ、必要なのは自分だと言いたいのです。

ちょっとこの辺りから、彼の狂気の片りんが見えています。

というのも、一貫して彼の言動には、相手に対する想像力が欠落しているからです。

 

ラヴィスは彼女を喫茶店に誘い出します。

ここでの会話が全くかみ合っていません。トラヴィスの「痛さ」全開です。

ラヴィスは選挙活動について知った風に語りますが、言葉を間違えて使い、彼女に訂正される始末。

そんな彼に対し、ベツィは皮肉をいいますが、彼にはその皮肉も理解できません。

 

さらにトラヴィスは彼女を映画に誘いますが、彼は決定的な事をしでかします。

ラヴィスは彼女をポルノ映画に連れていってしまうのです。

当然、彼女は怒って帰ってしまいます。

必死の弁解しているようで「君は働きすぎなんだよ。」とベツィに責任転嫁しています。

ベツィから完全に無視されてしまい、トラヴィスは選挙事務所に乗り込み、彼女を罵倒し呪詛の言葉を吐き散らします。

 

思えば、これまでのトラヴィスにはまだ同情の余地がありました。社会から疎外感を感じ、孤独にさいなまれることは誰でもあることだと思います。それに過剰な自意識ゆえ、他者に対し想像力が持てず、上手くコミュニケーションとれないことは、けっして他人事ではありません。しかし、ここでトラヴィスが彼女を憎しみだしたことは、多くの観客の同情も遠ざけてしまったと思います。観客もここからトラヴィスについていけなくなります。つまり、ここでトラヴィスは外の世界と決別したといえます。

結局、トラヴィスにとってベツィは人生を最悪の方向に変える「きっかけ」になってしまいました。

ラヴィスの狂気は暴走します。

 

☞トラヴィス銃をとる

ラヴィスは銃を購入します。

ラヴィスは日記のなかで、「また人生のなかで転機がきた」と述べています。

すでに多くの評論で言い尽くされていると思いますが、彼が銃を手にとることは非常に象徴的です。トラヴィスは作中通して、「不能(セックスが出来ない)」であることが示され、銃は「男性性」のメタファーとして機能します。彼にとって銃を撃つことはセックスの代償行為なのです。

 

彼は憎むべき社会を変えようと考えます。

「よく聞けボンクラども。もうこれ以上我慢できん。あらゆる悪徳と不正に立ち向かう男がいる。この俺さ。」 

彼は大統領候補の暗殺を企てます。また、彼は、売春をする少女アイリスを助け出そうとします。しかし、彼はアイリスに対しても、想像力を持ち合わせず、一方的に良識らしきものを説いて、家に帰るよう説得します。アイリスからも笑われてしまいます。「おかしいのは私とあなたのどっち?」

 

ラヴィスは大統領候補の集会にモヒカン頭で現れます。しかしこれは直前でバレて、未遂に終わります。そのまま彼はタクシーを走らせ、向かった先はアイリスのいる娼館でした。トラヴィスは娼館に突撃し、次々とポン引きたちを撃ち殺します。

凄惨なシーンですが、このシーン全体の色調が暗くなっています。血の色も目立ちません。というのもR指定を免れるために、彩度を減らしたそうです。

泣き叫ぶアイリスを横に、全員を撃ち殺します。最後に彼は自殺を図りますが、弾は切れていました。彼は手を銃の形にし、自らの頭に撃つつけ意識を失います。

 

☞恐ろしい結末

ラヴィスは生き延びてしまいました。

彼の部屋には彼を称える新聞が貼られ、アイリスの両親からの感謝の手紙が読み上げられます。そして彼はタクシーに乗り続けます。 

 

さて、自分は当初この作品の結末が、どうして納得できませんでした。

なぜトラヴィスが死なかったのかが不可解でした。英雄になったことも同様です。それはこの作品は「孤独をこじらせることへの警鐘」を鳴らす作品だととらえていたためです。そのメッセージはトラヴィスが生き続け英雄になってしまうと、かなりぼやけてしまうと感じたのです。

そのため長い間「トラヴィスは死ななければならなかった」と思っていました。

それがこの記事を書いた動機でもあります。

 

 

しかし、考えをまとめている間に、実は、この結末こそ、最も恐ろしいのではないかと思うようになりました。

 死ねばすべてはそこで終わりますが、生きている限り彼は肥大化した自我と向き合い続けなければいけません。また彼が英雄になったことで、彼は誤った自己実現をしていまいました。このまま異常な自我を抱えたまま、まっとうに生きていくことができるとは考えづらいです。彼はさらなる修羅の道を歩まずにはいられないでしょう。

 監督のスコセッシは、その後のトラヴィスについてこのように述べています。「彼はいつ爆発するかわからない時限爆弾だ。」彼がいずれ身を滅ぼしてしまうことを暗示しています。